貝塚寺内町には願泉寺のほかにも、浄土真宗の尊光寺、満泉寺、正福寺、泉光寺、要眼寺、浄土宗の上善寺、日蓮宗の妙泉寺が所在します。また、感田神社はまちの産土神をお祀りしています。
毎年7月には、感田神社の祭礼である貝塚宮の折に、各町から太鼓台(ふとん太鼓)が担ぎ出されます。お盆には、貝塚の盆踊り「三夜音頭」が踊られ、旧盆には町のあちこちで「地蔵盆」が行われるなど、伝統的な行事も数多く受け継がれています。
現在は、浄土真宗本願寺派に属し、阿弥陀如来を本尊とします。貝塚寺内町の中心寺院としての性格に加え、まちの政治の中心でもありました。隣接する北小学校の敷地には、江戸時代を通じ政庁の建物が建ち並んでいました。
寛永13年(1636)、卜半家第四世了周は、徳川家の菩提寺である江戸の東叡山寛永寺において得度を行い、慶安元年(1648)に「真教院」の院号を、寛文八年(1668)に「金凉山」の山号を授与されます。この後、明治維新まで、浄土真宗の教義以外はすべて寛永寺の支配下に入ることとなりました。
現存する本堂は寛文3年(1663)建立で最も古く、表門、太鼓堂等とともに重要文化財に指定されています。境内にある建造物は、17世紀末から18世紀にかけて建立されたものです。
地元では、「ぼっかんさん」と呼ばれ、親しまれています。
貝塚寺内町の産土神で、天照大神、素戔嗚(すさのおのみこと)尊、菅原道真を祭神とします。当初の祠が陶器製であったことから、「感田瓦大明神」と呼ばれました。江戸時代には、境内に併設された天台宗の宗福寺の住職が神事を執り行っていました。
社殿や神門は、国の登録文化財に登録されています。また、境内には寺内町の環濠の一部が残存し、貝塚市の史跡に指定されています。
感田神社の祭礼は、7月18日(宵宮)19日(本宮)に、無病息災や疫病退散を祈願して執り行われています。太鼓台(ふとん太鼓)は、以前は祭礼に合わせて各町から担ぎ出されていましたが、現在は7月の海の日(祝日)直前の土曜・日曜に太鼓台祭りとして開催されています。勇壮な7台の太鼓台が昼夜、練合いを行います。
貝塚寺内町に伝わる盆踊りです。本願寺第十一世顕如上人が貝塚に本拠を構えた時、これを祝って住民が三日三晩踊り明かしたことが起源だと言われています。テンポの遅い節回しや「チョンがけ」と呼ばれる太鼓打ちが独特で、貝塚市の無形民俗文化財に指定されています。毎年、8月14日15日に感田神社で行われます。
貝塚寺内町には、現在13か所の地蔵尊がお祀りされています。これらは、近隣の方々によってお世話されており、まちの人たちから信仰を集めています。
毎年、8月23日24日の旧盆には、地蔵盆が執り行われ賑わいます。